仁科 秀昭ゴジラ生誕60周年!なぜゴジラは、伊勢に上陸したのか?(1954年公開の第一作)仁科 秀昭(美術デザイナー)ゴジラ生誕60周年先日、三重県鳥羽の石鏡(いじか)の、ゴジラの初上陸地点を訪ねました 。三重の某プロジェクトの道中、同行のスタッフと「ゴジラの最初の上陸地点は、なぜか伊勢なんだよね…」なんて話していました。その翌日、鳥羽の「海の博物館」での調査を終え、館のスタッフの方にランチをとるのにいい店がないか尋ねたところ、石鏡漁港の海鮮丼が美味しい店を紹介してくれました。説明でくれたイラストマップのその場所を見ると、何とそこには ”ゴジラ初上陸の地” と書かれているではありませんか!現地へ行ってみると、確かに見おぼえのある漁港の風景が広がりました。ゴジラが顔を出した八幡山も!しかしなぜ、こんなひなびた漁村が、ゴジラの上陸地点になったのでしょう?手元にNHKスペシャル「さらばゴジラ」(平成16年放送)の録画があったので観直してみると、当時の助監督いわく、「監督の本多猪四郎は、8年間の兵役経験が あり、戦争が日常生活を突然奪ってしまう恐ろしさを、ゴジラとこの平和な漁村 の風景に托したのだろう」と、語っていました。当時、村人300人がエキストラとして、ゴジラから逃げ惑う場面に出演したそうですが、村人のひとりは、日当として300円貰ったことを覚えていると、イン タビューに応えていました(笑)。もっとも当時、石鏡には道路がなく、一番近い鳥羽まで、海路2時間は掛かるという陸の孤島で、勿論映画館もなく、これまで誰も、完成した映画を見ていなかっ たそうです。番組では、村でゴジラ第一作のビデオ上映会を開いて、製作50年目にしてはじめて村人を観てもらうという、微笑ましいエピソードが出てきました。しかしこの話では、なぜ伊勢か? という問いの答にはなっていません。そこで樋口尚文さんの「グットモーニング・ゴジラ〜本多猪四郎と東宝撮影所の時代」を読んでみると…同書は、ゴジラの監督〜本多猪四郎のフィルモグラフィを黒澤明など同時代 の映画作家との関係をひも解きながら紹介した本です。この本にも「なぜ伊勢 に上陸したのか?」の考察はないのですが、ヒントになる事項が記述されてい ました。本多監督は劇映画の前に、ドキュメンタリー(教育映画)を数多く製作しており、このゴジラの前には「伊勢志摩」という作品を手がけていたので、この地については熟知していたと思われます。さらに「青い真珠」という、伊勢の海女を主人公にした劇映画を監督しています。そこで見知った伊勢の風景に、ゴジラを 登場させたら…という映像イメージが、自然に浮かんだのではないでしょうか。ちなみに後年(1996年)、この近くからトバリュウの骨が発見され、ゴジラの祖先?と色めき立ちましたが、トバリュウは草食性の首長竜なので、ゴジラとの関連性は認められないのは残念です(笑)。いいね!